2021年04月13日/火 「真似る有り難さ」後ろ姿の継承 コロナ禍で新しい生活が推奨され、高岡教会も新しい参拝が始まってもう1年になります。最初は寂しく不便も感じましたが、こうした状況だからこそ見えたものがあります。 私は主人、姑、次女家族と同居しています。長男家族は岡山で、長女家族は東京で生活しています。90歳の姑は歳なりに少し認知症気味で、私はイライラすることが多く、なかなか優しい気持ちになれなかったのが悩みです。 今年のお正月のことです。長男家族は結婚して以来、お正月は帰省し、一緒に過ごすのが慣例なので、私は料理をふるまうのが楽しみでした。ところが今年はコロナ禍の影響で帰省はやめるとのこと、残念ですが仕方ありません。元旦の朝、テレビ電話で新年のあいさつを交わし、息子がテーブルの上を映してくれました。すると、お重があり、料理がいっぱい詰めてありました。お嫁さん頑張ったんだなあと嬉しくなりました。その中に私が作るものと同じものがいくつもあり、びっくりしました。お嫁さんが察し、「お母さんの真似をしてみました」と言ってくれました。私は嬉しくて、こうやって繋がっていくんだなあとありがたく思いました。 そして、私も姑の真似をしてきたことに気付きました。料理はもちろんいろんなことを真似していたんだなあと思いました。普段はイライラさせられることの多い母ですが、おかげさまの気持ちがわいてきて「お母さんありがとう、私も真似させてもらってきたね」と言わせていただきました。するとじんわりと優しい気持ちがわいてきました。 このことを通して、信仰も私の後ろ姿で継承されていく、今の私の生き方が、先日教会長さんが教えて下さった「未来供養」なんだと思いました。 今、毎日参拝出来た教会に時々しか参拝出来なくなりました。そのおかげさまで参拝出来た時の喜びは大きく、教えが心にしみ、自分中心の私も仏さまの見方に近づけるようにリセットされるのを感じます。そうすると、コロナ禍でもありがたい事がたくさんあることに気付きます。私にとって都合の良いことも、不都合なこともある、いろんな状況でもありがたい事の観える私になりたいです。 高陵支部 長柄 公子