教会長の言葉

「華」だより

 2021.7.3
  「聴ける自分 話せる自分」

 "聴ける"ゆえに"話せる"このつながりは『縁起』の教えの理解と実践を象徴的に表します。二つは一つ"これあれば かれあり これ滅すれば かれ滅す“と原始経典に示されることに通じますね。
 私たちの日常生活でも"聞いて良かった!""話して良かった!"と安堵する体験は誰もが経験しているのではないでしょうか。しかし、身近な家族の間では、気付かぬうちに普段の意思疎通が疎かになったり、なおざりになってしまうことも多々あります。
 法華経は、冒頭"如是我聞➖かくの如きを我聞きき"と始まり、この後に様々な"話し"が展開されます。ここで留意したいのは、"聞く→聴く"のように、お弟子さんたちはお釈迦さまの説法に心を傾けて聴いていたことです。
 会長先生は年頭法話で"青少年育成"の大事を示し、特に、家族の"思いやり"に満ちた創造的なふれ合いを強調くださいました。これは常に心がけていかないと"から題目"で終わりかねませません。
 下半期、私は『心を傾けて   聴く 話す』が習慣となれるよう実践し精進したいと思います。
 先ず、盂蘭盆会を通じて、ご先祖さまの声を聴き、心を通わせる姿を、子どもたちに見てもらい、子どもたちや妻の声を心こめて聴くところからスタートです。   合掌


2021.7.4
 「宗教と政治は車の両輪」

 開祖さまは、常々『人間の心を正しく、明るく、豊かにする"宗教"と、人間の現実生活を正しく、明るく、豊かにする"政治"とは、車の両輪であって、どちらを欠いても社会はアンバランスな状態におちいるのです』とご指導くださいました。
 今日は、高岡市の市長選挙です。過去2回は無投票で、12年ぶりの3人の候補者による選挙戦が展開されました。共通に"沈滞ムードを打破し改革していくこと"を訴えています。高岡教会は会員各位の判断を尊重する"自主投票"です。
 私たちも、宗教の立場から混迷した現代社会に対応する"より良き変化"を求められています。光祥さまは、最近のお言葉で『本来、私たちを生かすはずの"立正"という法によって私たちが人を縛ってしまっていないかを省み、"佼成"という一人ひとりのまごころからのつながりを大切にしよう』と述べられました。
 私自身が変化する。さぁ、本日ただいまが本番です。 合掌

2021.7.8
 「色々な立場の人の見方ができる」

 会長先生は、6〜7月の"佼成"で観世音菩薩さまのご法話をお分けくださいました。
 観世音菩薩さまは、有名な玄奘三蔵法師がつけた別名があり、"観自在菩薩"と称されます。『何かから離れて自在に見る』という能力です。
 私たちは、ともすると"あの人はこうだ!この人はこんな人に違いない!"と人物を決めつけ、固定して見てしまうことが多々あります。
 仏教の縁起の教えは、人や物事は"止まることなく変化する"と学んでも現実生活では、できない。"我"から離れられないのです。"我"が強いとも言いますね。私も長い間そうだったのに、気付かずにいたのだなと我が身を反省します。
 私も相手も変化します。観自在菩薩に倣い、互いの"いのち"が明るく優しくなる見方を志し、心がけていきたいと思います。 合掌

2021.7.9 
 「求める心に 仏の道が開かれる」

 インドの古語"サンスクリット語にアディムクティ"という言葉があります。鳩摩羅什はこれを[信力]とか[信解]と訳しました。
 しかし、本来の意味の中には、[求める心][志す方向]とあるようです。長者窮子の喩えで窮子が"志意下劣=志しが"低かった"ことになぞらえて、四大声聞が自分たちの"志しが低かった"と懺悔し、仏の子として生きていく喜びを表明します。
 私たちが信仰生活を歩む上で、[心の向かうところ=求める心]が日々の出会い、因縁を変える肝心と言えそうです。
 その意味で自分の"いのちの根っこ"である親~ご先祖さまとの向き合い方が、"志意下劣"なのか、"仏の子として誕生させてくださった"と向き合うのでは、全く違う人生の歩みとなりそうです。
 盂蘭盆会を控えて、それぞれの心の向かうところを点検したいと思います。  合掌

2021.7.10
 「"信じる"という妙薬」

 前回[求める心]の大事についてふれました。これが如来寿量品に至ると、"狂子良医"で父親の巧みな方便により、子どもたちが薬を服して本心に帰るという喩えが説かれます。
 この"本心"に帰るとは、いつでも、どこでも、誰にでも、本仏は寄り添い、働きかけてくださっていることに"目覚める"こと、即ち久遠実成の本仏の存在を信じきることにあるようです。
 昨晩、教会で壮年法座がありました。Yさんが年の離れた一人住まいのお姉さんの介護のご苦労を話してくださいました。骨は折れるけれど、これまでの親への介護経験と信仰心で、なんとか献身できているとのことでした。
 このお話しが契機となって何人かの人たちが、介護に関わるご苦労や智恵を分かち合うことができたのです。そして、法座のお一人が、"僕は、あなたのお姉さんの近所に住んでいます。町内の副会長なので、力になれることは、なんでも仰ってください"と力強く話してくださいました。
 Yさんは、本来なら前夜の法座に参加予定が、一日変更して昨晩の出会いとなりました。
 私たちが、本仏の慈悲の世界に生かされていることを実感するひとときでした。 合掌

2021.7.13
 「自分ができることに集中する」

 新型コロナウイルス感染拡大を収束させる鍵となるm RNAワクチン開発の立役者、ハンガリー生まれの[カタリン-カリコ博士]とips細胞でノーベル賞を受賞した[山中伸弥教授]とのリモート対談をETV特集で放映していました。
 その中で、カタリン博士がワクチン開発が上手く進まず、多くの批判に晒された時期に、彼女を支えた言葉を紹介してくれました。
 人間のストレスのメカニズムを研究した[ハンス-セリエ博士]の"どうしたらストレスを感じずに生きれるか ”という問いです。博士の答えは➖『どうにもできないことに時間を費やすのではなく、自分が変えられることに集中しなさい』でした。
カタリン博士は、この言葉を支えに、『常に自分が何ができるのかに立ち返ります。私ができることに集中します。私が変えることができない他のことや、状況については気にしません!』さらに"これからを生きる心構え"として『どうか夢を追ってください。そして自分が取り組んでいることを愛するのです』て結んでくださいました。
 開祖さまの『自分が変われば相手がわる。自分がしたいことをするのではなく、しなければならないことを好きになる』のお言葉と重なり、コロナ禍等、難儀な状況を克服する一筋の光明を得た思いでした。皆さまはどのように感じられるでしょうか − − − 。  合掌


2021.7.14
 「鬼滅の刃と仏教」

 昨年、空前のブームとなった『鬼滅の刃』。日本人だけでなく世界にも受け入れられました。この作品と仏教が深い共通点があると、浄土真宗の松崎智海住職が本にまとめました。
 共に苦悩の原因となる"煩悩=鬼"を"滅"していくことをテーマにし、"刀"がその鍵となっています。詳細は省きますが、松崎住職は刀に宿された”陽の光"が"鬼=煩悩"を滅することをヒントに、太陽の末裔と称される"お釈迦さま"が刀を操れる方として対比させます。
 私は単純なので、世界宗教としての仏教思想が、こうした作品を通じて現代人に受け入れられるならば大変有難いなと思いました。
 梅雨が終わり"お盆"の時節を迎えます。子どもや孫、家族との出会いに、『鬼滅の刃』の話題が仏教への関心につながると楽しいな – − と思う今日この頃です。 合掌