教会長の言葉

「華」だより

2021.9.5
  ②『念じる』について
   真理に則した祈り


 『念じる』に関して二点ふれたいと思います。
 一つは、開祖さまは先祖と私たちの関係について"樹木"のたとえをよく用いられました。それは先祖が樹木の根であるとするならば、いま生きている私たちは木の幹であり枝である、という意味です。
 人間の"いのち"を考える場合は、一人ひとりを他の人々と切り離した個人として捉えるのでなく、他とのつながり、具体的には、"親子"という関係の中で捉えることが大切だということです。これは『諸法無我』という真理に叶った普遍的な捉え方でもあります。
 単独の個人としてではなく、こうした『いのちの流れ』という中で、総戒名をお祀りし、お戒名を過去帳にお載せして、朝夕、真心から法華経読誦をすることが『念じる』ことの土台と言えましょう。
 経典そのものの持つ"経力"と、一心に念じる"念力"が合体して強力な"念波"となると開祖さまは説かれます。
 二つ目は、私利私欲や自己の都合にとどまる、小さな願望成就を念じるよりも、自他の救いや幸せを願い、より広い世界のために念じる大切さであります。それはまた、"みんなで祈る"こと、集団の力につながるものです。開祖さまは、『正定聚の精神力を結集すれば驚くべき結果をもたらす』と"祈願供養"などを例に、述べられています。積極的な善進ですね。
 立正佼成会は、諸法無我、諸行無常の道理を踏まえた直向きな祈りを、異体同心となって念じ続ける僧伽とも言えるように思えます。皆さまは、どのように感じておられるでしょうか⁉️   合掌

2021.9.8
  ③『行じる』について 
  相と力作と縁を変える
  師から学んだ"事の一念三千"


 私が27才の時、学林3年次の実習で半年間 福井教会にお世話になりました。当時の福井は桑野教会長さんでした。特に桑野さんの元での法座と布教を学びたかったので第1希望が叶ったのでした。
 市内の南支部で、のちに教会長になられた奥村支部長さんの所属にしていただき、"主任"のお役を拝命しました。担当地区は、市内とはいえ教会から距離のある集落が主でした。
 そこに家が雑貨屋さんの商売をする組長さんと農家の組長さんがおられました。お二人とも家業が忙しく手取りを兼ねた情報交換で訪ねても、取り付く島がないといった感じなのです。
 そこで桑野教会長さんに学んだ"事の一念三千"相手ではなく私の相と力作と縁を変えてみようと思いたったのです。
 (相)は、縦組織と思いがちな主任と組長の関係を"横"にしてみたのです。そうすると"善き友達"に会いに行く楽な気持ちとなり、相手も構えないので直ぐに打ち解けるのです。
 (力作)は、組長さん方は比較的朝のひとときがゆっくりした出会いができるので、折々に朝訪ねるようにしたことと、教会の車で行くより"自転車で行く"ことを多くしたのです。こうした対応によって私の真心が少し伝わったように思います。
 (縁)はどのように変えたかというと、組長さんその人のご縁だけでなく、組長さんが大切にしているものに着目し讃えるようにしたのです。雑貨屋さんの組長さんとは、お店の商品が集落の役に立ち喜ばれていること。農家の組長さんとは、育てたキュウリやナス、トマトなど作物の素晴らしさに注目し讃えました。おべんちゃらではなく本心からです。
 こうした体験を通じて、行じるにも"法則"があり、それを知って活用すると信頼される良好なつながりを素早く築けることを学びました。何より、『行じることがとっても楽しくなる』のです。これが今の私の原点の一つです。
 信じて、念じて、行じることの繰り返しが信仰にとって基本であると同時に、私たちの菩薩力を高め深める原動力であることを実感しています。
 皆さまにとっては、『釈迦に説法』で、既に身についていることかと思いましたが、これからも原点を大事にしてまいりたいと願っています。合掌

2021.9.9
 オンラインとオフラインで
    心をつなぐ


 私たちの社会がどのようにして大事な知見、知識や知恵を伝えてきたのか、歴史的に3つの段階があったそうです。
①口伝の時代:対面で場を共有し、その"場"で伝える。
②書いたもの-文字で伝える時代。
③電子データ、デジタル技術で伝える時代。
21世紀に入り、デジタルの進化は加速しています。
 私たちは、以上の3つの手段を使って情報コミュニケーションや知識の伝達をできる時代に生きています。特に、デジタルを使った通信手段をオンラインと言います。最初は、戸惑いもありますが、簡単な操作を身につけてしまうと予想以上にコミュニケーションがとれるこを実感します。
 一方、口伝や書いた文字で伝えることをオフラインと言います。特に、芸能芸術文化、宗教の世界は、人と対面する口伝を大事にしますね。何故ならば、空気、細かな表情、仕草という非言語的なものと共に、"気"という目にも見えない"何か"をやりとりするからのようです。人間のもつ本質的な可能性、力を引き出す上で、非常に大切ですね。
 ご供養、先祖供養のように尊い"氣"そのものと向き合うひとときは、一層大事と言えるかもしれません。
 コロナ禍の中、加速するオンラインの活用に感謝しつつ、口伝対面のオフラインの重要性も理解して、試行錯誤しながらも心と心をつなぐ、調和のとれた活用をしてまいりたいと願っています。合掌

2021.9.11
  光の華束(花火)を贈ろう

 20年前の9月11日、米国同時多発テロが全世界の人々を震撼させました。テレビから流れるあまりにも現実的ではない映像に、あの日私たちは呆然とこの先の世界への不安を覚えたのではないでしょうか。
 その後、テロへの報復としてイラクやアフガニスタンへの爆撃。怨みに怨みをもって返す負の連鎖は、未だ止むことはありません。
 仏教は、一人ひとりの心から貪瞋痴を滅して、慈悲と智慧をもって生きる術(すべ)を身につける教え。闇(くら)きところに光を灯す如くですね。
 新潟県長岡市の大花火を見た"山下清画伯"の言葉に『みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかり作っていたら、きっと戦争なんておこんなかったんだな』とあります。
 私は、花火には"光の花束💐"を贈り合うイメージをもっています。  合掌

2021.9.13
 『苦悩にあえぐ人のために』

 上記表題の後に『私たちはどう応えたらいいのでしょうか ー 大事なご縁を見逃しているのかもしれません』と会長先生は9月佼成ご法話を結んでくださいました。
 "人さまのお役に立ちたい"という自発的な行動を後押しする[私たちの"発"応援プログラム]の提案募集がご本部から打ち出されました。コロナ禍の社会を支える取り組みにもつながるような、社会に目を向けた提案が期待されています。
 壮年部のHさんが"フードドライブ"に取り組みませんか⁉️という提案をしてくださいました。まだ食べられるにもかかわらず家庭で余っている食品を集めて、食品を必要としている福祉団体やこども食堂などに寄付をするという活動です。
 わが高岡教会は、一食運動の浄財を地域の福祉に貢献してくださっている団体に贈呈する、一食地域貢献活動を通じて"フードバンクとやま"さんと信頼関係にあり、協力して頂けることにもなりました。この活動は、『食品を提供する人、フードドライブを運営する人、提供される福祉団体やこども食堂』の三者とも"菩薩の心"で成り立っています』とHさんは力強く強調してくれました。
 具体的な運営のことは、これから一つひとつ企画を重ねて教会の皆さまに呼びかけができると思います。この秋11月初旬に向けて準備が進みます。
 私は菩薩の発信が為されることと、家族みんなの身近な取り組みができそうでとっても有難く感じています。どうぞ、告知がありましたらよく趣旨を理解してご協力をお願い申し上げます。   合掌

2021.9.14
 "履き物を揃える"こと

 フジテレビの『テレビ寺子屋』という番組で、伊勢青少年研修センター長の武田数宏氏が大変興味深いお話しを分けてくださいました。
 武田さんに、知人の方が"お孫さんが履き物を揃えることが続かないので、何とか揃えることが続くように縁になってくれないか?"という相談です。
 そのお孫さんとご両親、そして知人であるおじいちゃんが揃って"お伊勢参り"に来られた際に、孫ちゃんと武田さんがほんの少しお話しする機会を得ました。伊勢参り中のご家族の様子から、武田さんが孫ちゃんに尋ねます。
 『お父さんとお母さんは、仲が良いんだね』。すると孫ちゃんは、『お父さんとお母さん、いつもケンカしてるよ❗️』と答えが返ってきたのです。
 すかさず、武田さんは『お父さんとお母さん、いつも仲が良いといいよね。おじさんが"履き物のおまじない"を教えてあげよう!』
 『左の履き物はお父さん、右の履き物はお母さん。歩く時は離れているけど、休む時はいつも一緒 ❣️』わかるかな?これを聞いた孫ちゃんは、何か大切なことを理解したのでしょう、笑顔になりました。
 後日、武田さんの知人から喜びの報告がありました。孫ちゃんが"いつでも履き物を揃えるようになったんだよ− − そして不思議なことに、孫ちゃんの両親がいつも仲良くしているんだ− − ありがとう"
 こんなお話しです。私たちは、日常生活での"三つの実践"の一つとして"履き物を揃える実践"に取り組んでいるので大変参考になるお話しです。
 身近な実践の中に、"縁起に基づく奥深いはたらき"があるのですね。  合掌

2021.9.18
 [親から授かったもの]

 私たちは"親"からかけがえのない"いのち"を授けていただきました。
 そして、大切なのは、その"いのち"に[仏心=仏性]が入っていることでありましょう。それはまた、『生きて、前に進もうとするはたらきを産むエネルギー』とも呼ばれます。
 漫画『大家さんと僕』が100万部を超えるベストセラー作家となり、それまでパッとしなかったのに一躍脚光を浴びたお笑いタレントの矢部太郎さんは、『人生の成功の法則のようなものはありますか』と質問されたとき、『もう成功してると思ってるんですよ、僕ずっと』と答えたそうです。富山新聞の"きょうの言葉"で、この答え方を拝見して、とても有り難くなりました。
 何かを賞賛されたり、人並み以上の成果をあげれば"成功"だと思うのではなく、日々を生きている"いのち"そのものに感謝ができること。
 ひいては、"いのち"を授けてくださった"両親"への感謝に目覚めていること。こうした人生の根っこ(根本)が、不都合なことに直面するなど様々な場面で、前に進もうとするエネルギー"仏性のはたらき"を活性させてくれると信じます。  合掌