教会長の言葉

「華だより」

2021.11.5
 「体験説法の日 」スタート

 11月4日「開祖さまご命日」を期して、「会員説法の日」がスタートしました。開祖さまは、常々ご法の話を聞いたり、救ってもらったりするのは、信仰のウォーミングアップに過ぎず、すべての会員が「説く人–救う人」となることを願っておられました。「"救ってもらうのだ"という意識のときと"救うのだ"という意識のときとは、法のつかみ方が格段に違います」と示してくださいます。
 この度初回の説法は、新湊支部のIさんでした。また、説法のかみしめをI支部長さんがしてくださいました。その後からお二人の修行と気付きの大いなる価値を証明する役を私がさせていただきました。
 どうしたら同じ家に住む家族同士、それぞれ見方考え方が違う中で"異体同心”となれるのでしょうか⁈ ポイントは二点です。①私たちは、知らず知らずに"自分の思いを通したい、縛られてるような煩わしいことから離れたい"気持ちが働きます。相手や環境に対する不足の気持ちになります。頭では概ね分かっているようでも、真に目覚めるには、身に付いた"垢"を取ることが大事です。このことをIさんは苦手とするお姑さんの介護に尽くすことによって気づかれました。法華経長者窮子のトイレ掃除に似て、誠に尊い修行です。
②御宝前が2階から1階に降ろせることになりましたが、ネズミの出現で、支部長さんより「家族みんなで"遷座式"ができると良いですね」との結びを頂戴しました。
"我"をとる修行にやや傾いていた"苦しい修行"から"仏性の開顕"による"明るく温かい修行"への転換です。Iさんを見守ってくださったK元支部長さんの願いもここにあり、家族がご宝前を中心に異体同心の生活が営める出発点となったものと受け止めます。
窮子が長者(仏さま)の尽きることのない蔵を任されたことに通じます。これからは、ご家族お一人お一人の可能性が引き出され"華"を咲かせるものと信じます。 合掌

2021.11.8
  食べる喜び、食べてもらう喜び

 『佼成』11月号34~35ページに、在宅訪問管理栄養士−潮田直子さんの寄稿文"食べる喜び、食べてもらう喜び"が掲載されています。
 『90代女性宅での出来事 − − そのお宅の畑でさつま芋🍠がたくさん採れたことをお嫁さんから聞き、早速「芋ようかん」を作って「味見をお願いしますね」とスプーンを差し出すと、なんと、自ら握って大きな口でパクリ。「美味しい、美味しい」と笑顔が溢れたそうです。ご家族も「自分から進んで食べたのは、久しぶり」と、たいそう喜ばれたそうです。数日後、「好きな物を食べてもらえるって、家族にとっても嬉しいことです」のメールが届きました』。とあります。
 もちろん、要介護高齢者への栄養や安全の配慮は欠かせないものですが、筆者が記されるように、「食にまつわるささやかな物語を紡ぐお手伝いをすること」の重要性は大事にしたいものです。
 "斉家"が在家信仰者の原点であり、菩薩行本番の重点と受け止めます。特に「食」にまつわる様々な家族のつながりは、「あいさつなどの三つの実践」と共に、大事にしたいものです。
 先般、壮年部が企画して皆さまの大いなるご協力のもと、成功をおさめたフードドライブ。フードバンクさんを通じて提供させていただいた各団体さまからも感謝と喜びの声が届いています。その先に生まれる"物語り"も共に念じていきたいと思いました。合掌

2021.11.9
 "破調"の積み重ねと大調和

 フードドライブ贈呈記事の北日本新聞掲載情報ありがとうございます。私からも記事情報です。
 『致知』という月刊誌があります。会長先生も時折ここに掲載された記事からエピソードをご紹介くださることもありますね。今月は、イタリアンレストラン「サイゼリヤ」の正垣泰彦会長が表紙です。加えて、正垣会長へのインタビュー記事も22ページから28ページにかけて特集が組まれました。
 ご存知の方も多いと思いますが、正垣氏はお母さんの代からの生粋の佼成会員です。ご本人は佼成学園の卒業生でもあり、商売上でも信行実践としても布施行に徹しておられます。佼成会−会長先生を通じて世界平和のためにお使いいただきたいという「お布施」も桁違いです。
 記事中太字で書かれた部分を紹介します。「失敗や挫折、艱難辛苦の時こそ自分を変えるチャンス、より成長させるチャンス。そうやって捉えると、いいことも悪いことも人生で起こることはすべて最高、これ以上のものはないと思える。そういう心構えで努力すれば必ず花が咲きますよ」。
 創業のお店は、一般的には最悪の場所、しかも売り上げも伸びず1年9カ月後には、客同士の喧嘩が元で2階にあった店は火事に見舞われました。その時、お母さんに言われた「火事に遭ったあの店はお前にとって最高の場所だから、辞めちゃダメ。1階の八百屋もアサリ屋も、せっかくおまえのためにそこにあるんだから、逃げちゃダメ。もう一度同じところで頑張りなさい」と。
 その後、1階八百屋の食材で野菜サラダ、アサリ屋のアサリでボンゴレをつくって安く提供したらトップ商品になり、以後この原体験から、数々の難儀があってもお店を「お客さまの喜ぶ店」として繁昌させてきたのでした。
 まさに、在家信仰者として"み教え"を実践しておられるのですね。 合掌

2021.11.13
 1割のボトムアップが大事(アップ)

 現在、コロナの感染拡大が下げ止まりを続けています。同時に同ワクチンの接種率が着実に上がってきており、マスク着用や三密を避ける習慣も、ごく一部を除けば、守られています。もちろん、医療従事者はじめエッセンシャルワーカーと呼ばれる方々の懸命の努力も続けられてきました。
 "ボトムアップ"は、「組織などが下(草の根)からの意見をまとめて全体をまとめていく運営方式」をいいます。国のレベルで言えば、政府のトップダウンで何かを推進しようとしても、国民の理解と自発的な協力がなければ物事は成就しませんね。
 こうした意味で、現在のコロナ感染が低く止まっている状況には"ボトムアップ"の行動が明らかに重要であることを示唆しているように思います。
 昨日、支部長さん部長さん方から提出いただいた『総括』をゆっくりと読ませていただきました。コロナ禍の難儀な状況が続いている中にあっても誠実に、懸命に僧伽の皆さまと共に精進くださっている様子があらためて強く伝わり、胸が熱くなります。
 開祖さまが"正定聚の僧伽"をつくることに精魂を傾けてくださいました。さらには、新宗連の会合などでは、「悪いことをする者に悪党という呼び方はあるが、善いことをする人々の集まりに"善党"という呼び方はない。私は一つの教団だけではなし得ないことも皆が協力すれば日本を信頼される善い国に導くことができる。だから新宗連は"善党"をめざすのです」➖こんな風に仰ってくださいました。自行化他の菩薩の仲間が1割集まれば、混迷する社会にあってもピンチをチャンスに変えていくことができるともお示しくださいました。
 不安の広がる時代だからこそ、善き仲間が異体同心でつながって"ボトムアップ"の行動を地域や国、世界の潮流となるよう精進してまいりたいと思います。 合掌

2021.11.15
  仏さまと一体になる"南無"

 時々「自分は"みじめな生い立ち"をしてきて、とても家族や人さまに対して"ほめたり、叱ったりできるような人間ではない」と、おっしゃる方があります。
 謙遜のように聞けなくもないのですが、大変もったいない解釈ではないでしょうか。
 開祖さまは「南無妙法蓮華経」の「南無」とは「身も心も捧げます」の意であり、お題目は、『法華経に身も心も捧げます』という真心を表すものと示してくださいます。
「法華経を心から信じ、行じます」とも表現くださり、この決意があればこそ、仏さまと私たちがしっかりと結ばれるのですと続きます。お題目は単なる言葉ではなく、仏さまと私たちが一体になるために不可欠の「信」を、口をもって表現した根源的言語であると言われるのはそのためです。(瀉瓶無遺)
 私たちは、人と比較して自分の能力や徳分を小さくしたり、卑下することがあります。仏さまはそれをお望みでしょうか? 合掌