教会長の言葉

「華だより」

2021.12.9
 『新たなライフスタイル』
 ー 徳を以って暮らす道 ー


 昨日8日は「成道会」でした。
コロナ禍や地球環境の変化、グローバル化などの中、私たちは大きな転換期を迎えているとお話しし、『新たなライフスタイル(生活様式)』を築くことが大事であることを述べました。
特に、「貪らない❗️」という暮らし方が鍵となること。そして、貪らなければ、その分が他の人のもとに届くという「布施行」にもつながることにふれました。
「便利 – 楽」という響きは、ある意味魅力的なのですが、ともすると、ジワリじわりと怠けたり、必要以上に欲しがる「怠惰 – 貪り」に堕してしまいます。
これを戒め、精神の修養によって、私たちの身にすぐれた品性を培うことを"徳"と言います。「器を大きくする」と言ったりもしますね。
 日本は、古来この「徳」を身につけることを大切にする伝統を大切にしてきました。私たちが人さまの役に立って自分も成長しようと励む"菩薩行"も、この「徳」を身につけることに通じていますね。
 また、毎日の暮らしにおいては、必要な分以上の買い物をしない。食品ロスを減らす。プラスチックゴミを減らす工夫をする。清掃奉仕に参加するなど身近な実践から(出来れば楽しみながら)徳を身につける努力をしてまいりたいと思います。 合掌

2021.12.14
 自分をささげて徳本を植える

 開祖さまのお言葉です➖功徳はどこからくるかというと、人のために自分がいろいろの奉仕をさせてもらう、身をささげさせてもらう、それで功徳がくるのです。
世の中をよくする、人さまに幸せになってもらう、人さまを仏法にお導きするために努力をする。そういう、こちらの施し、こちらからささげるものが少なくなると、功徳がなくなってしまうわけです。
(中略)やっぱり、徳というものがないと人はついてきてくれません。その徳が、人さまのために自分をささげる奉仕によってそなわってくるのです➖方便品の最後の結びの言葉に「大歓喜を生じて 自ら当に作仏すべしと知れ」とあるように、わき出てくるほんとうの喜びで「ありがたい」と思って感激でつとめるのと、役だから仕方なしにやっているというのでは、雲泥の差がついてしまいます➖【庭野日敬−経営者心得帳P 221〜222】
 令和3年も締めくくりを迎えようとしています。年頭、会長先生から頂戴した『反省と創造』の指針を振り返るにあたり、大事にしたい開祖さまのお言葉ですね。 合掌

2021.12.15
 時代のキーワードは"利他"

 上記は「佼成」新年1月号の会長先生ご法話タイトルですね。
日本仏教の祖師お二人の言葉を引用されます。お一人は、天台宗を開いた伝教大師"最澄"➖嫌なことは自分で引き受け、良いことは他人に与え、自分のことは忘れて他の人を利益することが、究極の慈悲である➖こうした生き方ができる人を菩薩と呼び、"国の宝"であると称賛します。
次に、真言宗の開祖−弘法大師"空海"➖六波羅の布施(利他)と、この身このままで仏になること(自利)が仏教の肝心かなめ➖というお言葉です。
 今朝のテレビを見ていると、東京池袋でのNPOの"炊き出し"に長蛇の列が出来たことを報道していました。「格差社会」とよばれますが、今や貧困は、開発途上国だけの問題ではないことが身に迫る社会です。
貪らず分かち合う"利他の社会"実現を願って、皆さまと共に精進してまいりたいと思います。
 今日布薩の日は、そんなお話しを致します。配信を合わせてご覧ください。 合掌

2021.12.18
 ー法華経をどう読むかー

 「佼成」昭和55年10月号に「法華経をどう読むか」というタイトルで開祖さまのご法話があります。今日をスタートに大事な箇所を紹介し記します。
 ➖法華経を読むのにまず大切なことは、拾い読みをしないことです。肝心のエキスさえつかめばいいといった横着な読み方をせずに、全巻を丹念に読むことです。そして、素直な心で読むことです。
どんなに不思議なことが書いてあっても、この世にありえないようなことが述べられていても、素直に驚き、素直に疑問を抱くことです。その驚き、その疑問は、読み進んでいくうちに、必ず「ああ、このことか」と悟り、ハタと膝を打つことがあります。
全巻が一つのドラマ(劇)のような形式になっているのは、人間の心理のそういう必然の経過こそが大切であるという真実に基づいたものですから、けっして結論を急ぐことはありません➖
 今日は、ここまでです。
振り返りますと、私自身が法華経を丹念に読ませていただき、複数の講師さんや教会長さんから学んだのは、第一期が学林生の3年間と青年教務員の時。第二期は教会長となってからで、亡くなられた片桐元教会長-教団理事さんからでした。また、長岡教会長の時は、「会員教育Ⅲ」の講師を二度務めさせて頂いたことも有り難いことでした。
 そして今、コロナ禍や文明の大きな転換点に立ち、人格完成をめざすとは、人さま(自他)の救いに本気で取り組むとはといった諸課題に向き合い、あらためて法華経を丹念に読み、開祖さまのお心に近づきたいと願っています。
『法華経を生きる』信仰を皆さまと共に、しっかりと開いてまいりたいと願っています。合掌

2021.12.20
 ー法華経をどう読むか②ー

 開祖さまご法話の続きです➖みなさんが映画や演劇を見る場合、結末だけを問題にし、しかも結末はこうなると初めから聞かされておれば、面白くも何もないでしょう。われ知らず涙を流すこともなく、思わず爆笑することもなく、何のためにそのドラマを見るのかという意味がなくなってしまうでしょう。
 法華経もそのとおりなのです。序品の冒頭から、仏さまの額の白毫(仏の眉間にある白い毛)から光が出て、それが東方万八千の世界を照らし出す不思議な光景が述べられています(中略)法華経が空間の枠を越えた宇宙的宗教であり、時間的にも過去-現在-未來を超えた永遠の真理であることが、知らず知らずのうちに心の襞(ひだ)のどこかに刻み込まれてしまうのです。それが、読み進んでいくうちに、いつかパッと心の表面に現れ出、悟りとなって花🌸開くのです➖如何でしょうか⁈
 法華経が「時間と空間の枠を超える永遠の真理」という点が、とっても感じ入ります。過去に経験したことも、未来に起こりうることも、只今現在の心の置きどころと実践によって、縦横無尽に展開することを示唆しています。かつての失敗も、いく先の不安も"いま"私が現象を正しく受け止め、理解することによって無量の宝物とできることを教えてくれます。起きている現象に対して、自分の中だけで処理しようとせずに、法座や研修などで仏さまの見方、法華経の見方ができるように習学を繰り返してまいりましょう。合掌

2021.12.21
 ー法華経をどう読むか③ー

 次に開祖さまは法華経前半の要(かなめ)となる方便品にふれて➖法華経の中には、とくに前半の「迹門」の中には、理性に訴える教えもたくさん含まれています。その最大のものが方便品の「諸法実相-十如是」の法門です。
これは、もともと空である宇宙のすべての存在が、どんな経過で現象として現れ、どう変化するかという大法則を説かれたものですが、これをたんに理性の教えに止めさせないのが法華経の法華経たるゆえんです(中略)思い出すのは「諸法実相-十如是」の法門です。この教えは、たんに現象の変化-流動の法則であるだけでなく「ある原因と条件を与えれば、それにふさわしい結果と影響を起こしうる」ということであり、「人間性も必ず変えることができる」という教えであったのです。
ですから、「自分がいま仏の子の悟りを得て幸せになったからには、他の人も同じ悟りによって変えることができる」という信念が、そこから油然(ゆうぜん)として湧いてくるのです。これが慈悲というものの根源です➖と方便品-諸法実相のご解釈を説いてくださいました。大宇宙の法則-はたらきは、智慧と慈悲にあふれていることが深く受け止められます。
私たちの家族や周囲の大切な方々のご縁を思うとき、諸法実相-十如是のはたらきを信じて、憂悲苦悩や心身の痛みを少しでも軽く和らいでいただきたい方がいると思います。
"一念三千"相手を変えることでなしに、"自分自身がみ教えを実践して悟り、変わること"をまごころ込めて繰り返し実践してまいりましょう。合掌

2021.12.24
 ー法華経をどう読むか④ー

 開祖さまは、続けられます➖次は、譬喩品に出てくる「四諦-八正道」の教えは、人生苦を滅する方法を端的に教えられたものです。次は化城喩品に出てくる「十二因縁」、これは人類発生から社会的人間となるまでの道筋と、個人の受胎から死に至るまでの心とからだの変化を明らかにし、人生苦の原因をつきとめた大法則です。
さらに、苦を滅する道を社会的にもおしひろげた「六波羅蜜」の教えが分別功徳品で説かれています。これらの法門は、もちろんその場その場で教えの意味をしっかり学ぶことも大切ですが、しかし、それらはすべて如来寿量品で説かれる「人間のいのちは永遠である」「人間はみんな仏の子である」という真実につながっていることを忘れてはならないのです➖
 私たちが見ている世界は、人間の立場の物差しで損得とか善悪で見てしまい、幸せ、不幸せを判断することが多々あります。仏さまは、縁起の教えから展開される「四諦-八正道〜六波羅蜜」等によって、私たちの心を解きぽぐし、真実(ありのまま)の世界が見えてくるように導いてくださるのだと思います。
"妙"の世界を見るとも言えるかも知れません。
"永遠のいのち"や"仏の子"という真実に結ばれると、私たちの"いのち"は困難な事態や不自由な身体に直面しても、そのことに縛られるのではなく、「自らを支えてくださる大切な人」に気付けたり、「蘇る勇気と力」を頂戴することがありますね。
 今朝のニュースで小児ガンを経験した中学生がサンタの格好で、今現在入院中の小児たちにクリスマスプレゼントをあげている映像が流れました。
"辛さ"の経験が"辛さをいたわる”人を育むことを教えられます。 合掌

2021.12.25
ー法華経をどう読むか⑤ー

 開祖さまご法話を続けます➖
「人間すべて仏の子」という真実は、じつは如来寿量品に至って初めて説かれているのではなく、譬喩品の「三車火宅の譬え」においても、その他さまざまなところで伏線的に示されているのです。それらを読み、学び、心の隅の襞(ひだ)に刻み込んでおいてこそ、寿量品に至って仏の慈悲の広大さとそのキメの細かさが胸に落ち、「ああ、自分は仏さまに生かされている無限のいのちだ」という歓喜溢(あふ)るる思いがしみじみと湧いてくるのです。
これこそ、宗教ならでは得られない最高の感動、最大の安心です。この感動と安心は、たんに教えのあらましを知ればよいとか、教えのエキスをつかめばよいといった読み方-学び方では絶対に得られません。「全巻を丹念に読まなければなりません」。そして、ただ一回や二回読むだけでなく、五回でも十回でも繰り返し繰り返し読めば読むほど、その悟りは胸に深く落ちつき、あらゆる場合の生きざまの指針となり、一生の幸せの原動力となるのです➖
 さらに続けて➖このように法華経を心で読み、魂で読み、毛穴から染み込むほどに繰り返し読んでいると、ほんとうの慈悲が湧き、ひとりでに足が動き、口が動いてきます。慈悲の行動、いわゆる菩薩行が無意識のうちにできてくるのです。
しかし、ただ自分が幸せになったばかりでは、法華経の功徳が成就したとはいえません。ひと-われ共に幸せになり、人類すべてが成仏し、世界全体が浄土化するのが法華経の理想なのです。そうならなければ、自分自身もほんとうに幸せにはなれないからです➖
 5回シリーズで開祖さまのご法話を掲載させていただきました。あらためて「よいことを まごころこめて くりかえす」ことの原点が法華経の習学にあることを胸に刻みました。まだまだ悟りと救いの道が開けそうです。
 令和4年に向け、日々の生活の様々な出会いの中で『法華経を生きる』信者さん(仏の子の目覚め)が一人でも多く誕生できるよう皆さまと共に精進してまいりたいと思います。 合掌