教会長の言葉

「華だより」

2021.10.20
 「一人ひとりを大事にする」

 やくしん11月号20ページに澤畠−鹿児島教会長さんが開祖さまの『法華経の新しい解釈』のお言葉を紹介しています。
「人を見たら、その一点の明かり窓を見つける。そしてその明かり窓を讃歎することによって、その人を自分の明かり窓に気づかせる。明かり窓に気づいた人は、もっと光を入れたい、もっと光を入れたいと、ひとりでに明かり窓をおしひろげていくでしょう。これが『仏性を拝み出す』ことであり、『自らの仏性を自覚する』ことです。そして、人の『仏性を拝み出す』ことこそ、菩薩行の大眼目なのです。そこに生きた仏教があるのです」という大変感銘深い有名な一節です。
 誠に不安定不確実な現代社会(娑婆世界)にあって、他者を信頼することは難しいことかも知れません。だからこそ、「一点の明かり窓[仏性]を見つけ拝み出す」という菩薩の行が必要とも言えます。
 佼成10月号の信仰体験『暗闇のなかで見えた希望の光』を拝読しますと、時澤延光さんは、肺気胸という病気とご両親との気持ちの行き違いなどから、高校を中退し、やがて引きこもり自殺も− −と落ち込み、さらに緑内障にかかってしまいます。
 こうした中、教会の青年部の仲間とのオンライン法座で「のぶさんを支えてくれる人はまわりにいるの?」と尋ねられました。首を横に振ると、「それなら僕がのぶさんの目となり、杖となって支えていきたい」という展開があります。希望の光が差し込む瞬間であり、再起への足がかりとなったのでした。
 一人ひとりを大事にするご縁を皆さまと共に直向きに続けてまいりたいとあらためて誓願致します。 合掌

2021.10.23
  懺悔とは➖開祖さまご法話

 会長先生の佼成ご法話が、いよいよ「懺悔経」となりました。このタイミングに合わせて開祖さまのご法話の一部を紹介させていただきます。
 『わたしが近ごろつくづく思うことは、あらゆる進歩は懺悔によって生まれるということです。懺悔というのは「これまでのあり方を反省し、それを改善しようと決意すること」にほかなりません。
 たとえば、大昔の人間が掘っ建て小屋を建てた。大風が吹いて飛んでしまった。これはいけないというので、もっと丈夫な造り方を工夫した。材料も変えてみた。そうした反省と改善の努力が何千年も積み重ねられて、今日のような建築技術まで発達したのです。
 つまりは、懺悔とはなにも特別なものではない。人間があらゆる面において進歩するために欠くことのできぬ原動力である。したがって、けっして後ばかり振り返るじめじめしたものではなく、前向きの、積極的な、いちばん価値の高い精神活動であるということを解っていただきたかったからです。』
1972年3月「佼成」
➖懺悔が進歩の原動力と開祖さまは解いてくださいました。私たちは、日々様々な出会いや家事、仕事の中で"失敗したな"と思うことがしばしばありますが、その時こそ進歩進化に向けた精進のチャンスなのですね。合掌

2021.10.28
  高みをめざすから変化がある

 『空が青いから白を選んだのです』➖これは"くも"というタイトルの「詩」です。
奈良少年刑務所の受刑者Dくんが書いた作品です。当時、Dくんには薬物中毒の後遺症があった。そのため、ろれつが回らなず、頭には、父親から金属バットで殴られたという痛々しい傷跡があった。虐待され、父親から否定され続け、自分に自信を持てないから、いつも下を向いている。この詩をみんなの前で発表する時も上手く話せない状況が何回か続き、とつとつと言葉が発せられたら、みんなから一斉に拍手が送られた。
 するとDくんは遠慮がちに、「先生、あの- – – ぼく、話したいことがあるんです。話してもいいですか?」と了解を得た上で➖どもりながら「ぼくのおかあさんは、今年で七回忌です。おかあさんは、体が弱かった。けれども、おとうさんはいつも、おかあさんを殴っていました。ぼくはまだ小さかったから、おかあさんを守ってあげることができませんでした。おかあさんは亡くなる前に、病院でぼくにこう言ってくれました。『つらくなったら、空をみてね。わたしはきっと、そこにいるから』。ぼくは、おかあさんのことを思って、おかあさんの気持ちになって、この詩を書きました」
➖Dくんの言葉が、教室みんなの"心の扉"を開きました。
 この日を機に、みんなが劇的に変わっていったのです。Dくんは模範生となり、他のみんなも大きく前向きな変化を遂げたのです。[寮美千子著−奈良少年刑務所 絵本と詩の教室]より
 11月佼成ご法話で「反省も懺悔も〜仏性のはたらきによる向上の証であり〜」P14 L10〜12 とありますように、皆さまと共に、すべての人に具わった"仏性"を信じ拝み出す"善き縁"の道を弛みなく歩んでまいりたいと思います。 合掌

2021.10.30
  迷わぬ為に"覚悟"を決める

 私たちは、曖昧で不確定な未来に対して、どうしても不安を覚え、「この判断は正しいのだろうか?自分は正しい方向に進んでいるのだろうか?」と悩んだり葛藤したりします。生身の人間ですから当然ですね。
 そこで大切となるのが、「目指したいものに対して"覚悟"を決める」ということです。平易な言葉では"腹を決める"と表現していますね。
 「自燈明」と教えていただくのは、他人ではなく"自分"が腹を決めること。また、それは我流や独断ではなく「法燈明」のもとでなされることです。
 今日から高岡教会初めての実施となる『フードドライブ』がスタートします。壮年部の"発心"により提案され、入念な準備を経て当日を迎えました。
この間、お通しの大切さを学び、仏さまの願いに合わせる会議や法座を大事にしてきました。壮年部各位から"覚悟➖腹を決め"本番に臨んでいる姿勢が伝わります。
 きっと今日のお天気のように困難に直面しても、晴れやかにあまり迷わず前進することを信じます。 天晴れ❗️ 合掌

2021.11.3
  分かち合い信頼社会を築く

 今日は、一食地域貢献プロジェクトの贈呈式と先の3日間にご協力頂いたフードプロジェクトの贈呈式が10時より教会で行われYoutube配信されます。
 思い出される一つの経験があります。2015年、立正佼成会が一食献金から協力をさせて頂いているWFP「世界食糧計画」の現地視察として「幸せの国」と呼ばれる"ブータン"を訪れました。当時長岡教会長だった私が団長で関東圏を中心とした会員代表の方々5名と、WFPのスタッフ1名、そしてWFP日本協会(民間支援)事務局長というメンバーでした。
 先ず驚いたのは、事務局長をはじめとして資金面でもWFP日本協会を支えているのが、カップラーメンで有名な『日清食品』という民間会社であるということでした。食で世界にマーケットをもつ会社の"食糧で世界に貢献しよう"という姿勢に、一層の信頼がもてました。
 さて、ブータン王国の視察では、二点の大きな学びを頂きました。けっして経済的に豊かと言えないこの国にあって、一つは、例えば満足に食事がとれない子供たちがいても、一人ひとりの悲しみを分かち合い、自分の食べる分を分け合う"尊い習慣"が国民の"幸せ感"につながっていることです。
 もう一点は、仏教の教えが人々の暮らしの中に脈々と息づいているという実感です。
 "こころ"を育み、"こころ"をつなぐ日々の積み重ねが、生きていく上での不安を和らげ、共に生きる「信頼社会」を築くことを学ばせて頂きました。 合掌