教会長の言葉

「華」だより 

2021.5.24
  「リーダーシップは影響力!」

 開祖さまと親しく、全国明社の会長もしてくださったソニー創業者の井深大さんの体験です。
当時のソニーと言えば、世界に冠たる大企業です。最新鋭の設備を誇るきれいな新工場でのこと。しかし、たった一つ解決できない問題がありました。それはトイレが汚いということです。井深社長自ら、工事長に指示し、工場長も徹底して通知を出したのですが、改善されません。それどころか[落書きするな〕という落書きまで出る始末です。
 ところがある時からパタッと落書きが止むのです。何故かというと、工事の掃除のおばさんが、【落書きをしないでください、ここは私の神聖な職場です】とトイレに貼ったのです。この件を通じて、井深社長は、リーダーシップとは上から下への指導力や統率力というだけでなく、”影響力”だと悟ったという体験です。
 私たちは、ご法を家族や僧伽にお伝えする時、”後ろ姿で法を説く、あるいは、陰徳を積む"大切さを教えていただきます。
コロナ禍の中にあって、徳のある影響力を持てるよう、お互いさま磨きをかけたいと思います。         合掌

2021.5.25
  「私の中の 観音さま!」

毎月教会門扉脇に掲示する6月の言葉を次のようにしました。
 千の手を差し伸べて
 苦しむ人の助けになる
 私の中の 観音さま
先日NHKのプロフェショナルという番組で、宅配業者の方を紹介していました。その方は高校から二十歳前後の時、色んなことがうまく運ばず、”自分は誰にも必要とされていない”と落ち込んでいたのです。
そんな彼が宅配のパートをしていたお母さんのツテで宅配の仕事を始めました。初日は荷物の半分しかこなせなかった彼は、どうせ今度も上手くいかないと落ち込みました。
そんな彼に宅配チームのリーダーが"一人で抱えてしまったんだね。君は一人じゃないんだよ。笑顔がなくなるのがいけないんだよ"と優しく声を掛けてくれ、同時にチームの皆んなが彼を助け明るく励ましてくれました。大きな転機です。
以来彼は担当地域全ての世帯が何時頃だと在宅しているか覚えたり、児童の下校時はその道をなるべく避けて通るなど、小さく地道な工夫と努力をかさねました。
確か何と4年後には会社の日本一のドライバーに選ばれたのです。そんな彼の言葉です。
"物をとどけるだけじゃない。人の思いをこぼさずに届ける。人と人の気持ちをつなげる"
"自分が苦労した分だけ、お客様(相手)の苦労が減る。大変な思いをしたお陰で笑顔になれる。プロフェッショナルとは人を笑顔にすることができる人”
彼は、一見ごく普通の人です。観音さまの力とはたらきを、彼の中に観ました。 合掌

2021.5.28
  「自分を磨いてくれるもの」

 やくしん6月号開祖さまご法話には、"ものごとを悪いほうにばかり受けとると、すべてが(苦)の種になってしまいます。目の前に現れる現象は、仮の姿にすぎません。仮の姿にふりまわされないようにすれば、つらいことも[自分を磨いてくれるもの]と受けとめることができて、常に安らかな心境で過ごせるのです。"とあります。
諸行無常、"すべての出来事は変化する"という真理に照らすと、教会参拝自粛という変化も、神仏から私たちに託された"時間"をどのように有意義に有り難く使うのか!
私たちに問われているように受けとめています。
自分自身と、ご縁の家族や職場、地域の方々と共に笑顔の増える時間の使い方、信仰生活の見直しを、お互いさましてまいりたいと思います。
今後、積極的に新たな気付きを分かち合いましょう。 合掌 

2021.5.29
  「ゆっくり 粘り強く」

 アメリカ大リーグで顕著な活躍を見せたイチローさん、今有名なのは大谷選手でしょうか。
お二人は共通して、少年から青年期にかけて基本を繰り返し、ゆっくり、粘り強く精神と技術を磨き上げてきたことが、現在の大活躍につながっていると言えるようです。
夜間中学の先生の番組がありました。現在8割は外国人だそうです。最初の1年は日本語の勉強習得に当てられます。番組に登場した先生は、生徒さん達と目線を合わせ、各人の個性や人生経験を尊重して、ゆっくり粘り強くコミュニケーションをとっていく姿が、印象的でした。時には、生徒の好きな音楽で心を通わせます。
私も、コロナ禍の中、焦らずにゆっくり粘り強く新たな信仰のコミュニケーションを模索してまいりたいと思っています。  合掌

2021.5.30
  「パラダイムシフトの模索」

 パラダイムシフトは、"ある時代–集団を支配する考え方が、非連続的-劇的に変化すること。
社会全体の価値観の移行ーという意味で使われます。
現在、人類は、地球温暖化や経済をはじめとする格差の問題(世界のトップ2100人の資産が貧しい46億人の資産を上回るといわれます)加えてコロナ禍への直面等の超難題を抱えています。
今朝のNHKニュースでお堅いイメージの資本論関連の本が若者を含めて、かなり売れていると伝えていました。特に『人新生の[資本論]』という新書は、30万部を超えて、こうした書籍では珍しい現象だそうです。
私もたまたま冬休みに読み、説得力のある鋭い切り口に目が覚める思いをしました。
いずれにしても、これまでの資本主義社会はほころびや限界を呈しているとの警鐘が聴こえてきます。
 私たちは、青年の皆さんが地球的課題にSDGsを通じて”自分ごと"として、足もとの実践に取り組むことを大事にしたいと思います。
同時に、今世界の人々に切実に求められているのは、"どのような価値観で生きるのか"という、いのちの使い方、生き方の根本命題だと思います。
開祖さまが身命を賭してお伝えくださった、いのちに宿された仏性を開き、示し、悟り、菩薩の道を生きる生き方を、一人でも多くの方々と分かち合いたいと願うものです。
これまでの信仰暮らしを省み、明るく優しく温かく、新たな精進の道を創造してまいりましょう。   合掌

2021.5.31
  「地図のない旅」

 作家の五木寛之氏のエッセイが富山新聞に掲載されている。
最近の紙面で、忘れられない言葉としてロシアの作家ゴーリキイを紹介していました。彼は自殺を試みて失敗した経験もあります。
"人生というのは本当にひどいものだ。じつにひどい。しかし、だからといって、それを自分で投げ捨てるほど、ひどくはない"
創作者として、当時のソ連という国家体制の中での生き辛さもあったかも知れない。
五木氏は、"希望をもて、生きることは素晴らしいことなのだ"との言葉だったら若い頃の自分には役に立たなかっただろう。彼の言葉には、困難な時代を生き抜いた人間の真情というか、重さがあって、それが心にひびいたのだろうーとかみしめます。
小4から高校生までのうち、24%が"死にたくなる時あり、16%が自傷行為があるとの調査もあります。
"それでも生きることを投げ出すほどではない"
価値観が不明瞭な現代、若い世代に限らず、この意味合いを如何に伝えていくかは、私たち自身の命題でもあると受けとめています。     合掌

2021.6.5
  「"きょうかい"を無くす」

[えっ、教会をなくすの⁉️]
いえいえ違います。同じ発音の"きょうかい"でも"境界"のことなんです。
私たちは、一般的に日本人と外国人とか、金持ちと貧乏人、大人と子どもという感じで、人物や物事を言葉で分けて判断をします。
そこで、気を付けなければならないのは、それがレッテルとなり、固定し、自分と相手の間に目に見えない分断の境界線ができてしまうことです。
開祖さまが歩まれた道を辿りますと、この人と人、人と自然に立ちはだかる"境界"を消していく仏行であったと見ることもできるような気がします。
いま、毎日一人、教会御宝前のお給仕をしていると、最初はお水のグラスを扱うにも"おそるおそる”の扱いです。それでも続けていると、すべての動作が自然体、滑らかになってきました。グラスと私の間の境界が無くなったのかな⁈と受けとめています。
身近には家庭の料理も同様かと思います。不思議な一体感が育まれてくるのです。
人との関係でも、初めは境界線があります。稽古する。無心になる-−−きっと私たちには、境界線を消す能力が、仏さまから授かり、開祖さまに導いていただいていると信じます。 合掌

2021.6.6
  「つながって 創造する」

 昨日は、佼成ウィンドオーケストラのメンバーが[題名のない音楽会]に出演し、普段見られない見事な演奏技術を披露してくださいました。
ふと気づきが深まったのは、"音楽は人と人をつないでくれている"ということです。
"身体の細胞や器官はすべて他の助けになるように働いている"と教えて頂きますが、"世の中に存在するすべてのものは、他とつながることで、その役割を全うする"という真実が明らかになります。
 また、佼成ウィンドさんの演奏は、悲しむ者に癒しを与え、チャレンジする者に勇気を与えてくれます。"現状からの善き変化”を促してくれます。
 前者は、諸法無我の真理。後者は、諸行無常の真理に則していることが頷けます。
 だとすると、"いのちある、いや、無機物もすべての存在は、[つながって創造してこそ、その使命が発揮される]"とあらためて思いを深くしました。    合掌

2021.6.10
  「さとりの縁」

 
地獄で罪人を裁く"閻魔大王"は、娑婆世界で出会う老人、病人、死者を"三人の天使"と称されます。
 この三人の天使との出会いによって、生前、いのちの使い方に大切な気づきを得、善業が積める。だから、地獄に堕ちることはない−−というお諭しです。
 また、観世音菩薩普門品は、人間の災厄や欲望を"さとりの縁"と教えています。自分に好ましくない人も事柄も、みな私たちを真実の人間であらしめようとの慈悲、智慧の相と信受するのです。
 今日は、脇祖さまご命日。
幼少期から波乱の人生を過ごし、病気の問屋と言われた妙佼先生。
先祖供養を説かれる開祖さまとの出逢い、仏さまの御教えの信受と実践によって、心の奥の"観音さま"が目覚め、その後、慈悲の生涯を送られました。
あらためて"私は、三人の天使ときちんと向き合っているだろうか"とかみしめたいと思います。   合掌 

2021.6.11
  「"無"という境地」

 高岡教会にもご縁のあった千玄室前裏千家家元のお話しーー若い時、[破れ草鞋(わらじ)]という公案と向き合ったそうです。千家元は、"自分が履いたわらじがボロボロになって裸足になったとしても、それに気がつかないくらい歩き続けなさい"という意味で捉えていたそうです。
 ところが、答えは違っていて"破れわらじ そのものすらないという[無の境地]"
これが一つの答えでした。"人間は裸で生まれてきて裸で死んでいくじゃないか。無になってしまえ"との意味のようです。
 [わらじ]を身体に置き換えてみると、より実感が伴います。私自身は還暦を過ぎたあたりから、さすがに身体の下降線を強く意識するようになりました。
[無の境地]と言っても、中々その心境は難しい⁉️ ただ、自力で踏ん張る生き方から、"大いなるいのち➖仏さま、開祖さまにお任せします"と[絶対の他力]を信解し、自力と他力が一つになった心もちは、持てるような気がしています。
 仏さまの"いのちを生かすはたらき"は、菩薩行の実践が肝心のようです。家庭や身近な場で出来る菩薩行を皆さまと共に考え、分かち合っていきたいと思います。   合掌

2021.6.14
  「親孝行−先祖供養」

 平成4年の教会長指導会での開祖さまのお言葉です。
『親孝行と言ったり、先祖供養と言ったりしているけれども、自分がこの娑婆に生命を受けることができたのは、ご先祖さまのおかげ、親のおかげですからね。親や先祖は自分をこの世に生まれさせてくれた本だから、親には孝行しなくてはならないし、ご先祖さまにはご供養申し上げて成仏してもらわなくてはならない。
 だから別に難しいことではなく、当たり前のことなんです。このように自分が受けた恩のご恩返しのつもりで、当たり前に受け止めて一生懸命朝晩にご供養する。
 人さまの手を取らせていただいて、お幸せな仲間をたくさんつくっていく。あの世、この世の別なく幸せになれるように、幸せになれるようにと手を取っていけばいいわけです。』
 法華経は、真実ありのままの世界を説き示し、大事にする教えです。その出発点が開祖さまの"あの世、この世の別なく"というお言葉に現れていますね。"家庭を斉よう"とする時、こうした根本の理解が大事なことをあらためてかみしめています。     合掌