コロナ禍で踏み出す『法華経でつながるセカイ』 お釈迦さまから開祖さまへ 両親から私へ そして地域社会と未来の世代へ いまから二千五百有余年前に北インドを中心とした地域に弘まったお釈迦さまの教え〈仏教〉が、数多(あまた)の困難を乗り越え、悠久の時を経て脈々と布教伝道され、飛鳥時代の日本にも伝わりました。当時、お釈迦さまのご本懐(真の願い)を日本の国づくりの根幹として顕(あら)わそうと努力されたのが聖徳太子でありました。 さらに時代を経て、開祖さまが昭和13年(1938年)、「生きた宗教として一人でも多くの人に法華経に示された人間の真実の生き方を知ってもらい、ほんとうの幸せを自分のものにしていただきたい」という心底の願いから、脇祖さまと共に「仏教のいのち」ともいえる『法華経』を所依(しょえ)の経典とする立正佼成会を創立くださいました。 昭和26年7月6日、授かった子供(私の兄にあたる)と自身の病気で悩んでいた母が福島県でお導きを受け、当時、国鉄に勤めていた父と母二人でご本部まで参上し「総戒名」を賜りました。両親の法華経との結縁です。入会したその日から母は寝込むことがなくなりました。そして、入会から1年後、子供は亡くなります。しかし、両親は信仰を捨てませんでした。 両親は僧伽を通じて、開祖さまの『法華経』のご解釈に導かれる中で、人生で経験する様々な苦悩は、他の人に代わってもらうことができず、どうしても本人が受けなければならないこと。しかし、その苦悩を体験することにより、はじめて他者の苦悩が自分のこととして受けとめられるのだと大切な気付きを得、「人さまを拝むことは自(みずか)らを拝むこと」であり、「他のために尽くす生き方」が自分の不運や苦悩を宝に転換し、救われる道であることを自得したのだと思います。 初代が精進したからといって、私たちの代の苦悩がなくなることはありません。加えて現代は、コロナ禍やこれまでにない自然の猛威に直面しています。両親が身命を賭(か)けて帰依し実践した、仏さまの教え、法華経を求道し、家族や地域社会の安寧と未来の世代の安心につながるよう、僧伽の皆さまと共に、家族との信仰生活を基点として菩薩行の実践に創造的に、直向(ひたむ)きに磨きをかけてまいりたいと思います。 合掌 高岡教会長 荒川 公男